WORLD HERITAGE

ビキニ環礁のラグーン内にひっそりと眠る名高い空母・戦艦達の今・・・

核実験

ビキニ環礁が2010年に世界文化遺産に登録された事もあり、マーシャル諸島という国名よりもビキニ環礁という名の方が知られている事でしょう。水着の「ビキニ」はこの「ビキニ」環礁から呼ばれるようになったと言われています。(説明省略)

★1946年アメリカ合衆国は当時信託統治領であったビキニ環礁を核実験場に選んだ。住人170人は無人島のロンゲリク環礁に強制移住させられたが、漁業資源にも乏しく、飢餓に直面した。1948年に米軍ミサイル基地クワジャリン環礁に寄留し、さらに無人島キリ島へと強制移住させられた。同年、実験場が隣のエニウェトク環礁に変更された。1954年には再度ビキニ環礁にも戻り核実験は1958年7月まで続けられた。


ブラボーショット

ビキニ環礁で行なわれた最初の核実験は、1946年7月1日と7月25日のクロスロード作戦である。大小71隻の艦艇を標的とする原子爆弾の実験であり、主要標的艦はアメリカ海軍の戦艦「ネバダ」、「アーカンソー」、「ニューヨーク」、「ペンシルベニア」、空母「サラトガ」などのほか、第二次世界大戦で接収した日本海軍の戦艦「長門」、ドイツ海軍の重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」なども標的となった。
1954年3月1日のキャッスル作戦(ブラボー実験)では、広島型原子爆弾約1,000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。(ブラボー・クレーター)★      ★~★Wikipedia引用
※「ドイツ海軍の重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」」はビキニ環礁で標的にされるが沈まずその後クワジェリン環礁へ運ばれるも沿岸域に座礁し今はダイビングのポイントとして人気です。


ビキニ環礁の今

現在空港のあるEnyu島の北に位置するBikini島には数名の作業員が常駐しており島で育つココナッツや土壌などの放射線量を測定する為のサンプルを採取し続けており、一般の定住者は未だ戻ってはいません。その他の離島でも未だに戻って生活をしている人はいません。
2008年にクローズしたダイブショップ併設のBikini Resortは一部利用出来るものの休憩などに限定されます。空港のあるEnyu島にも新しくリゾート施設が建設されており今後は観光等にも利用されることでしょう。各リゾートの目の前にはどこまでも続く白砂の美しいビーチがあり当時の事がウソのように静かな時間が流れています。
静かなビーチを染める夕焼けに包まれながらのBBQディナーは最高の贅沢と言えるでしょう。


アクセス

首都マジュロ環礁からビキニ環礁までは直線距離約800km、東京~山口県下関くらいでしょうか。そのビキニ環礁へは国内線エアーマーシャルもしくはマジュロまたはクワジェリンからチャーターボートでの移動となります。飛行機でマジュロ環礁からビキニ環礁までノンストップで2時間15分程度。ボートでは約60時間ですがクワジェリンから乗り込むと半分に短縮出来ます。そしてレアなクワジェリンでのダイビング付き(プリンツ・オイゲン)!ダイビングではボートでの船上滞在が主になり食事、就寝、アクティビティー全てが整っているので安心!船上にはダイバーには心強いチャンバー施設もあります。もちろんダイビング以外でもボートはチャーター可能です。

世界遺産ビキニ環礁を潜るのはほとんどが深い沈船ダイビングスタイルとなり減圧ダイビング、レック、テクニカル等の経験者が望ましいでしょう。その後のフライトを避ける為にもほとんどのダイバーはボート移動を利用されます。専用セスナも今後ビキニ環礁とを結びます。


ビキニ環礁、ロンゲラップ環礁、エ二ウェトック環礁等の核問題に関して日本・世界でもあらゆる活動にて扱われておりますが、Raycrewは、その当時、現在を真摯に受け止め今後ビキニ環礁にも携わっていく思いです。自然の再生能力、当時現在のビキニ環礁の美しさ、今となれば日本の名鑑も含めた名のあるレックダイブサイトとしてビキニ環礁の素晴らしさをお伝え出来ればと思っています。